ちょうどこちらのリンクを読んだ後でした。
仏教から見る死
チベット仏教は無知なんですが、最近あちこちで目にするので学べという事なんでしょう。
上記のリンク内容をざっとまとめると、

・死は生と同時に有るもの
・人は何度も輪廻し、無数の死を経験している
・死は次の段階へのステップにすぎない
・悲しむのは執着にすぎない

最後のほうに出てくる息子を亡くした家族の悟り具合には、常人にはまったく理解の外…
下手をしたら冷たいサイコパス家族だ!と思われるかもしれません。

でも葬式で泣けない私は少し解ってしまいます※1
過去生をたくさん思い出し、無数の死を見て経験してきて、死と生が表裏一体なのも理解しました。
父が亡くなった時も、哀しみより安堵が先にでました。
「もう闘病で苦しまなくていい。次の生では幸せになって欲しい」と。

そしてまた死を経験しました。
4月8日…夜頃、実家の飼い猫が急に吐いて、翌朝には冷たくなっていたそうです。
何でも食べてしまう子だったので、恐らく殺鼠剤で死んだネズミを食べたのかもしれません。
2015年4月に来たので、ちょうど3歳の命でした。

最初は違う家にいて、室内飼いのストレスで問題行動があり、叩かれてばかりだったのですが、
うちに貰われてきて広い庭で遊び、小屋を与えられ、ご近所(皆猫好き)にも可愛がられて…
幸せだったと思います。

昨日は酷くだるくて1日寝ているような日だったんですが、明け方の夢に出てきてくれました。
よりによって臨終の時の様子で、一生懸命看病して、死に水を飲ませて、最期は安らかに逝きました。
私が出来なかった事をさせてくれたんだな…と思いました。
すごく優しい子で、人間が大好きだったので、次は絶対に人間に生まれ変わると思います。

遊びに行くといつも駆け寄ってきて、スリスリしてきて、もふもふさせてくれてありがとう、ポン太。
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名付け親は父でした。
父の造った庭が大好きな子でした。
今頃天国で一緒に、日向ぼっこしているかもしれません。

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※1死は哀しみではない



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