お恥かしい話ですが、私はテレビを見ては、ぐだぐだと批判と文句を垂れ流す奴でした…。
おばちゃんあるある?

若い人はテレビではなく、ネットで書き込む人が多いのかな。
家での独り言なら被害は家族のみですけど、ネットだと世界に拡散する悪口…
おおこわい。

何故あんなに不平不満を言っていたのか。
劣等感からでした。
自分が満たされない、不幸せだと思うから、人が妬ましくてこき下ろしたくてしょうがないのです。

批判すれば自分が優位に立った気がしてました。
ネットだとたーーーくさん偉そうな意見が乱立していますが、リアルで満たされてない人達なのは、一目瞭然。
私もあの中に居たので、よーく解る。

人を貶めたって、優位に立てるはずも無いんですよね。むしろ逆効果。

前にも書きましたが、脳はおバカだから人に向かっていう悪口も、自分に向けられたと思い、傷つく。
参照:人の悪口を言うと、自分自身が傷つく理由。【脳科学】
脳は主語が理解できない…衝撃ですよね。
「○○のバーカ!」が、
「私のバーカ!」
になって自己嫌悪→逆ギレ→攻撃的→人に対してイライラ…
負のループ!!
まだバカくらいならいいけど、「しね!」って冗談で言う人は……危ないですね。

私がいつもイライラしていた理由が解りますよ、ええ。
不満は言わなくなったものの、批判は減りませんでした。
ジャッジ…判定、判断、決め付け、という意味で使われていますね。
ジャッジしないで検索するとたくさんスピ系のサイトが出てきます。

例えば…。
どこに行っても長続きしない、無職のダメな人が居るとします。

私だよ。

傍から見れば、人生の落伍者です。
「まともに働く先もないなんて…可哀想な人ね」
これがジャッジ。
自分の物差しで、相手を計っているという事。

他人がどう言おうと、私は今無職状態でヒャッハー!しているので、可哀想でも何でもないのです。
むしろ次へのステップの為に、力を蓄えている状態。

前回の記事でも書きましたが、人に対して批判していたのは本当に傲慢でした。
「あれは間違っている!」
「あの人は正しくない!」

とジャッジしまくっていたんですね。

相手を受け入れないから、当然自分も受け入れられない。
世界が狭まるのを感じていました。
ジャッジを少しずつ減らし、理解の方を伸ばしていったら…固定概念だらけだった考えが柔軟になってきましたね。

車で、後ろから無理な追い越しをかける運転手が居たとすれば、
「きっとウン●出そうなんだ」
と考えれば、快く譲れます。

焦ってイライラをぶつけてくる人は、みんな「ウン●漏れそうな人」
なんといういたわりと友愛じゃ…

職場で意地悪を言ってくる人は、悪霊にとり憑かれていると思いましょう。
「完全に身体を乗っ取られておる…。哀れよのぅ…」
とこれぞとばかりに中二病で想像すれば、なんとかなる。

これが一歩上へ行く…大げさに言うと、次元が上昇した、レベルアップ!アセンショーン!!
上から目線という言葉は、同じ次元でしかおこりません。
どんぐりの背比べなのに、相手を見下す為、無理に顎を仰け反らせて見下ろすのです。

次元が上がると、嫌な人が視界に入ってきません。
私は高身長なので、自分より低い人の顔が見えないのですが、そんな感じ。
自分の世界に存在しなくなる=気にならなくなります。

「ジャッジしない」のは上昇への第一歩なんです。
嫌な人に限って目に付いたりするのは、あなたが悪口言いたい(ジャッジしたい)からです。
同じ次元でしょ?
好きの反対は無関心とはよく言ったものです。
「あの人は、こういう人なんだね」
と理解というか見限りというか…そう決着をつけると、無関心になれる=アセンショーン!!

上の次元は平和そのものですよ…。嘘みたいに嫌な人が現われませんから。
二極化になって、次元の低い人は居なくなるって、こういう事だったのか!と合点してます。

同じ土俵に立つ必要はありません。
さぁ、ジャッジを捨てて楽になりましょう!

アセンショーン!!←必殺技風に

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2012-05-16