いつから生きるのが苦しくなったのだろう?
物心ついた時から、愚痴だらけだったと思う。
意地悪な姑と小姑の文句ばかり言う母親を、そのまま真似ていたと思う。
小学生にして、不平不満だらけだった。
いつもお腹が痛かった。
それでも学校だけは通い続けた。
中学二年の時、酷いイジメに遭った。
クラスどころか学年全部から攻撃される日々。
当時は今のように、フリースクールも無ければ登校拒否が許される環境ではなかった。
行かないという選択肢は与えられず、通い続けた。
高校こそ!と思い、常に笑顔で明るい話が出来るようにキャラを作り上げた。
親友が二人も出来た。人生で初めて楽しかったように思う。
高卒で就職。ブラック企業で身も心もズタズタになり退職。
鬱病になり半年療養した。
その後、どこも長くは続かなかった。
どこに行っても、過労か対人関係で失敗した。
結婚して子供を産んでも子育ての才能もなく、保育園入れたさに働いた。
子供は熱を出してばかりで、居づらくなり辞める事を繰り返した。
勤め人は向いてないと、独立開業したが1年で失敗。
長女が小6の頃、学校の役員で揉めて、無視される存在となった。
鬱病がまた発症し、寝たきりとなった。
39歳で甲状腺と子宮にガン疑いの腫瘍が見つかり、手術を繰り返した。
「どうして私だけ、こんな目に遭うの?」
「何も悪い事なんてしてないのに、どうして」
何度繰り返しただろうか。
苦しくて、どうにかしたくて、心理学やスピリチュアルの本を読み漁った。
外部に救いを求め、寺社、霊能者、占い師を渡り歩いていた。
どこを探しても、一時は納得して向上した気になっても、すぐに変わらない現実を叩きつけられた。
41歳の頃、父がガンで亡くなった。
最期まで仲は悪いまま。でも一番看病したと思う。
父はずっと、自分の母親の恨み節を言っていた。
私も母が嫌いだが、あんな風に最期まで恨んで死ぬのは嫌だと思った。
42歳。長女が不登校になった。次いで、次女も不登校に。
長女と大喧嘩して警察を呼ばれ、何もかも嫌で家出をした。
川に飛び込んでやろうと思った。
実際は、霊山と呼ばれる所にふらふらと行って、川に足を付けただけだったけど。
そこで不思議な事が起こった。
滝の方で、とても優しい気配がした。まるで母親のような、包み込むような優しさ。
そして背後からは、父親のような陽光のような温かさが伝わった。
背後の山には不動明王が祭られていた。
双方の愛のようなものを感じた私は、堰を切ったように号泣した。
「助けて」
初めて口にした。
いままでイジメにあっても、誰にも言わなかった言葉だ。
「助けて、苦しい、苦しいよ、助けてよ!」
何も応えない。でも。気配はずっと寄り添っていた気がする。
それから、私の一部は死んでしまったと思う。
長女に対して、「こうせねばならない」という固定観念。
自分に対して、「もっとがんばんないと」という追い立て。
それらの感情が遠い過去のように思えた。
エゴの死と言えばいいのだろうか。
この不思議な感覚は何なのかを知りたくて、また心理学やスピリチュアルを勉強したが、答えが見つからなかった。
その流れで西洋占星術を教えて貰い、いつの間にか見る側となっていた。
心理学より、占星術の方が心を理解するのに役に立った。
仕事は上手く行っていた。
有難い事に、お客さんが途切れる事はなかった。
ところがある時から苦しくなった。
「人の悩みを聞いてるから、負の念を貰い過ぎたんじゃないの?」
と言われ、それもあるかもしれないけど…
以前は感想を貰うと、とても嬉しかったのに、感情が凪のようだった。
元々お金にも執着は無かったが、過去最高売り上げになっても、凪。
Twitterのフォロワーさんがたくさん増えたのに、凪。
そして人を鑑定する事が出来なくなった。
三年目にして、挫折である。
原因は分かっている。やり過ぎたのだ。
自分の自信のなさを文字数でカバーしようとして、詰め込みまくった。
どんなに尽くしても、受け取る側次第だというのに…。
人の評価が怖いというよりは、自分で作り上げたハードルが城壁のようにそびえ立っていた。
勉強してもしても、まったく届いた気がしない。
喜びの声を貰っても、信じられない。
まだまだ、まだまだ。
自分を追い詰めた。
社畜時代と何も変わっていなかった。
砂漠に水をやっているような渇望感が常にある。
なぜこうも、自分を認められないのか?
自信がもてないのか?
…子供時代、褒められた経験が無いからだよなぁ。
優秀な姉と妹に比べ、褒め処が少なかった上に忘れん坊大将だったし。
それでも舞台などでは活躍したので、その時は褒めて貰えた。
ただ、家の中でどんなにお手伝いしても、私がすれば当たり前だった。
他姉妹は褒めるのに。
原因は分かったけど、何も解決しなかった。
私は何のために働くのか?
最初は同じ「生きづらさ」を抱えた人を助けたい、という救世主願望からだったと思う。
これで何度も失敗しているのに、懲りない(笑)
一か月休んだ後、書くことが好きだった事を再確認した。
自分の好き勝手書く文章には責任がない。だから好きだ。
でも虚無感は消えない。
大多数の人が、お金や称賛の為に働く。それはとても自然な事。
私にはその二つが無い。不自然。普通じゃない。
また、仲間外れだ。強い疎外感。
そしてこの本に出合った。
続きはnoteに。
Twitterの引用が多くなると、ここ広告だらけになっちゃうので(汗)
記事を分けたのは、自分語りが多かったのと、長くなりすぎるからです。
書くことで再認識しました。
頑張り過ぎてる。
恐ろしい事に、まったくその自覚がなく、むしろ怠けてると思ってきた。
確かに寝込む事は多かれど、やる事はやっている。雑務小さくて多すぎ。
自分どれだけ追い立てるねん。
そりゃ燃え尽き症候群なりますよね。
頑張れは報われると思ってきた。
身を削れば、喜んでもらえると思ってきた。
何かが間違っている。
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物心ついた時から、愚痴だらけだったと思う。
意地悪な姑と小姑の文句ばかり言う母親を、そのまま真似ていたと思う。
小学生にして、不平不満だらけだった。
いつもお腹が痛かった。
それでも学校だけは通い続けた。
中学二年の時、酷いイジメに遭った。
クラスどころか学年全部から攻撃される日々。
当時は今のように、フリースクールも無ければ登校拒否が許される環境ではなかった。
行かないという選択肢は与えられず、通い続けた。
高校こそ!と思い、常に笑顔で明るい話が出来るようにキャラを作り上げた。
親友が二人も出来た。人生で初めて楽しかったように思う。
高卒で就職。ブラック企業で身も心もズタズタになり退職。
鬱病になり半年療養した。
その後、どこも長くは続かなかった。
どこに行っても、過労か対人関係で失敗した。
結婚して子供を産んでも子育ての才能もなく、保育園入れたさに働いた。
子供は熱を出してばかりで、居づらくなり辞める事を繰り返した。
勤め人は向いてないと、独立開業したが1年で失敗。
長女が小6の頃、学校の役員で揉めて、無視される存在となった。
鬱病がまた発症し、寝たきりとなった。
39歳で甲状腺と子宮にガン疑いの腫瘍が見つかり、手術を繰り返した。
「どうして私だけ、こんな目に遭うの?」
「何も悪い事なんてしてないのに、どうして」
何度繰り返しただろうか。
苦しくて、どうにかしたくて、心理学やスピリチュアルの本を読み漁った。
外部に救いを求め、寺社、霊能者、占い師を渡り歩いていた。
どこを探しても、一時は納得して向上した気になっても、すぐに変わらない現実を叩きつけられた。
41歳の頃、父がガンで亡くなった。
最期まで仲は悪いまま。でも一番看病したと思う。
父はずっと、自分の母親の恨み節を言っていた。
私も母が嫌いだが、あんな風に最期まで恨んで死ぬのは嫌だと思った。
42歳。長女が不登校になった。次いで、次女も不登校に。
長女と大喧嘩して警察を呼ばれ、何もかも嫌で家出をした。
川に飛び込んでやろうと思った。
実際は、霊山と呼ばれる所にふらふらと行って、川に足を付けただけだったけど。
そこで不思議な事が起こった。
滝の方で、とても優しい気配がした。まるで母親のような、包み込むような優しさ。
そして背後からは、父親のような陽光のような温かさが伝わった。
背後の山には不動明王が祭られていた。
双方の愛のようなものを感じた私は、堰を切ったように号泣した。
「助けて」
初めて口にした。
いままでイジメにあっても、誰にも言わなかった言葉だ。
「助けて、苦しい、苦しいよ、助けてよ!」
何も応えない。でも。気配はずっと寄り添っていた気がする。
それから、私の一部は死んでしまったと思う。
長女に対して、「こうせねばならない」という固定観念。
自分に対して、「もっとがんばんないと」という追い立て。
それらの感情が遠い過去のように思えた。
エゴの死と言えばいいのだろうか。
この不思議な感覚は何なのかを知りたくて、また心理学やスピリチュアルを勉強したが、答えが見つからなかった。
その流れで西洋占星術を教えて貰い、いつの間にか見る側となっていた。
心理学より、占星術の方が心を理解するのに役に立った。
仕事は上手く行っていた。
有難い事に、お客さんが途切れる事はなかった。
ところがある時から苦しくなった。
「人の悩みを聞いてるから、負の念を貰い過ぎたんじゃないの?」
と言われ、それもあるかもしれないけど…
以前は感想を貰うと、とても嬉しかったのに、感情が凪のようだった。
元々お金にも執着は無かったが、過去最高売り上げになっても、凪。
Twitterのフォロワーさんがたくさん増えたのに、凪。
そして人を鑑定する事が出来なくなった。
三年目にして、挫折である。
原因は分かっている。やり過ぎたのだ。
自分の自信のなさを文字数でカバーしようとして、詰め込みまくった。
どんなに尽くしても、受け取る側次第だというのに…。
人の評価が怖いというよりは、自分で作り上げたハードルが城壁のようにそびえ立っていた。
勉強してもしても、まったく届いた気がしない。
喜びの声を貰っても、信じられない。
まだまだ、まだまだ。
自分を追い詰めた。
社畜時代と何も変わっていなかった。
砂漠に水をやっているような渇望感が常にある。
なぜこうも、自分を認められないのか?
自信がもてないのか?
…子供時代、褒められた経験が無いからだよなぁ。
優秀な姉と妹に比べ、褒め処が少なかった上に忘れん坊大将だったし。
それでも舞台などでは活躍したので、その時は褒めて貰えた。
ただ、家の中でどんなにお手伝いしても、私がすれば当たり前だった。
他姉妹は褒めるのに。
原因は分かったけど、何も解決しなかった。
私は何のために働くのか?
最初は同じ「生きづらさ」を抱えた人を助けたい、という救世主願望からだったと思う。
これで何度も失敗しているのに、懲りない(笑)
一か月休んだ後、書くことが好きだった事を再確認した。
自分の好き勝手書く文章には責任がない。だから好きだ。
でも虚無感は消えない。
大多数の人が、お金や称賛の為に働く。それはとても自然な事。
私にはその二つが無い。不自然。普通じゃない。
また、仲間外れだ。強い疎外感。
そしてこの本に出合った。
続きはnoteに。
Twitterの引用が多くなると、ここ広告だらけになっちゃうので(汗)
記事を分けたのは、自分語りが多かったのと、長くなりすぎるからです。
書くことで再認識しました。
頑張り過ぎてる。
恐ろしい事に、まったくその自覚がなく、むしろ怠けてると思ってきた。
確かに寝込む事は多かれど、やる事はやっている。雑務小さくて多すぎ。
自分どれだけ追い立てるねん。
そりゃ燃え尽き症候群なりますよね。
頑張れは報われると思ってきた。
身を削れば、喜んでもらえると思ってきた。
何かが間違っている。
そこらへんを、本の感想を書くことで見つけていきたいと思います。
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