行くか戻るか…それが問題だ。
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高千穂で色々なエネルギーと繋がるので、審神者しまくった結果、内観も同時に勧める事になり、
最近は自分のエゴ・ジャッジ・マウンティングに身悶えする羽目になってた。

元より、私はエゴ・ジャッジ・マウンティングが強いです。
中間子はヒガミ妬みも強い。
偉そうな事ばかり書いてますが、褒められた人間性ではない。
表面上、良い人に見せてるだけ。A型にありがちな裏表のある存在。

以下、散文になりますよ~。

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前にも書いたかもだけど…
支援教室の見学に行ったら、多動の子が居た。
やたらこっちの話に絡んで来て、
私が、
「自分でも、45分も固い椅子に座って授業受けるのがしんどかった」
と言うと、食いついて来た。

「おれも!椅子固すぎなんだよ。ふわふわな椅子ならおれも座るのに」
彼が動き回る理由はそれ。
明快な答えです。

でも指導員の先生はこう言った。
「そう?私は平気だけど」

私はショックだった。
普通である事が当たり前に出来る人達に、発達児の何が解るんだろう。
そこはせめて、「そうなんだー」で受ければいいのに、
なぜ「私は出来るけどねっ」とマウンティングを取ろうとするのか。
こんな人が指導員なのか…。

問題なのはその後。
私は関係機関にこの一連の出来事を愚痴った。
指導員を非難した。
これは私のエゴ・ジャッジ・マウンティングだ。

「私のほうが、より彼を理解出来るんだからねっ!?」
を見せつけたかったんです。

更に元を辿れば、理解されなかった自分に行きつくんです。
普通にしてるつもりなのに「変わってる」と変な目で見られたあの頃。

「普通」に出来る人達への、ねたみです。
普通に出来る人達の代表格が公務員で、敵意はそこに向いた。

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最近また公務員にムカつく事があったけど、完全に自分の劣等感から出るものでした。
あっちは「早く帰りたい」と思ってるのに私に絡まれたから、あんな冷たい目になったのかもしれないのに、勝手に私が蔑まされたと感じた。
プラス無資格だから冷たくされたと、被害妄想。

その後、楽しく話していたのは顔見知りの人達だったかもしれないのに。

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昔、仕事もしない上司にイラついたのは、単にその立場が羨ましかったから。
すごく苦労して昇進したからこそ楽してるのかもしれないのに、その苦労は想像もしなかった。

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職場の上司、嫌いだったんです。
人に細かく注意するくせに、自分は全然仕事しないから。
あと人に対しやたら攻撃的で、好かん事ばかり言う。

でも亡くなったお姉さんがその度に後ろで謝ってる気配があり、
私の態度も軟化するうちに、鏡のようにあちらもイヤミを言わなくなった。

そして決定的だったのが、上司の枕元にお姉さんが立ったそうな。
「みんなが助けてくれるから」
と言ったらしい。

あまりに気になったので、お姉さんに聞いてみた。
職場でもたまに気配があるし、波長が合うようで繋がりやすかった。
お姉さん、頭を下げて、
「ここ(職場)をお願いします」

…まさか、上司が逝くのでは!?
早死にの家系なのは確かなので、一気に不安になる。

その数日後、上司に不幸な出来事が起きた。
詐欺に遭ったようなもので、流石に嫌っているスタッフ一同も同情。
意気消沈な上司、更に仕事が疎かになる。

「ここ(職場)をお願いします」
って…そういう事なのね。お姉さん元ここの経営者で凄く愛してたから。

私もいつもより優しくなり、上司に接するように。

上司を克服したのは、これで二回目だな~。

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内観する事でもう一つ分かった事があります。
へりくだり過ぎ問題。

私は目覚めたと思いこんでいて、大義名分の通りに動いていました。
「私は自分が大好き」
「私は人を敬っている」
「どんな意見も受けいれる」
なんのなんの、ただ人から好かれる為のパフォーマンスでした。
完全他人軸。
だから簡単に人の意見に揺らぐしムカつく。

マウンティング大好きなので、前は自分より上だと感じた人に、媚びへつらっていました。
自分を卑下して相手の機嫌を取ってた。

高千穂でアレヤコレヤとあり、帰ってきてその方々を見てみたら…
あれ?前より凄く見えないぞ??

尊敬していた一人とじっくり話す機会がありました。
前は相手のご高説をずっと聞いて、「すごいですね~」と感心していたのに、それは悪い忖度と自覚が出たせいか、あまり凄いと思えない。

逆に私が実体験か得た事を話すと、あちらが黙って感心してた。
立場逆転しちゃってた。

これもマウンティング?飛び級した私スゲー??
いや、一皮剥けただけ。
本来の自分を取り戻しただけ。

私は悪いへりくだりをしていました。
それはひいては、相手を見下してるも同じ事。
相手を良い気分にさせた事で、自分のエゴを満足させていた。

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本当の愛があれば、相手の問題を指摘する事も大事だと思う。

昔、19歳の頃慣れない社会人生活で愚痴と相手の文句ばかり言ってた私を、
怒った事の無い友人が𠮟ってくれました。
その時はショックだったけど、すぐに「勇気がいることをしてくれた、ありがたい」
と思えて、信頼度が増しました。

間違っている時にそれを指摘してくれる。
本当の愛ですよね。

この経験から私も友人が間違ってると思ったら指摘するようになりました。
でもその多くは、
・エゴ(相手を変えたい)
・ジャッジ(あなたは間違ってる!)
・マウンティング(私の方が優れてるから真似しなさい)
から来たもので上手くは行きませんでした。
愛からじゃないとダメなのよ愛からじゃないと。

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最近だと引っ込み思案の友人に対して、
「いい加減おばさんの年齢なんだから、恥ずかし乙女してる方が恥ずかしいよ!」
「羞恥心が強いというのは、プライドが高い裏返し、自意識過剰」
とズケズケと。

信頼関係を気づいてないうちにこんな事言ったって、ただの暴言。
そりゃ縁切られて当然だ。

更になぜ私はここまで酷い事を言ったんだろう?を突き詰めると、彼女が「したい」と言ってるのに行動が伴わなかったから。それに対して怒りを覚えたから。

体育会系だから、「上手くなりたい」と言ってるのに練習しない選手をなじる感じ。
コーチかよってね。
あと干渉し過ぎた。相手のATフィールド(心の壁)をもっとおもんばかるべきだった。

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今日は父の誕生日。生きてたら71歳。子年。
最期の最期まで仲が悪かった。母とも折り合いが悪い。機能不全家族だったのは否めない。

下記の本に、グサリとくる一文が。

『家族への憎しみは、甘えの裏返し』

家族と言えども魂視点では「他人」
他人に対して、あれをしてくれなかった!と恨み言をいうのはおかしい。
相手に期待し過ぎてるから、不満が恨みとなり憎しみになる。

親は「何かをしてくれて当然」の存在ではない。
「他人」が「ボランティア」で「育てて貰っただけでありがたい」と思うこと。
それでも辛い場合は、成人してるなら家を出る選択肢もある。
すべては自分に責任がある。

父は私には辛く当たると思っていたけど、子ども時代はアチコチ連れて行ってくれた。

高千穂もそうで、その前にクマ牧場に行っていて、はしゃぎ疲れていた私は高千穂峡の橋にうずくまり、親を困らせていた。
つい最近、そんな事を思い出した。

母も愚痴は酷かったけど食糧はちゃんと与えてくれてた。
魂年齢で言えば未熟だった二人が、ボランティアで私を育ててくれた、
言わば子どもが子どもを育ててくれたんだ。

そう思えば求めてばかり、過去のせいばかりにしていた心も溶けそうだ。
いい加減甘えるのはもうよそう。

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他人に対する怒りは、そのまま自分の劣等感・欠点と直結する。
そして自分自身への理解に繋がる。
難しい事です。
自分の醜さと対峙するのは辛い作業です。

私は別に覚醒者にも人格者にもなるつもりはなくて、俗っぽい下品なおばさんで良いと思ってます。
なら何故こんな自分に厳しい内観をするかというと、その方が後で楽になるからです。

相手を許さない、怒りを抱えたままだと精神だけでなく身体も蝕んだ。
なら許す方法を考えた方が、苦しくても楽になるんです。
あくまで自分の為。

旅行は良い転機になりました。
転地効果半端ない。
煮詰まった方、無理にでも有給取って、電車や車で一時間先にでも泊まってみたら良いと思います。
最近はネット予約で安くて有難いですね。
楽天トラベル愛用です。




江原さんにしては、キラキラお花畑な表紙じゃないので、珍しくて借りました。
2008年に書かれていたとは思えないほど、今に通じるものがあります。
私がぺらりと開いたページがいきなり、ボランティアについてでした(笑)

大我=大きな無償の愛
小我=自分の利益のみ考え心

人間はどう大我が持てるように進化出来るかにかかっている…。