(3月9日に書いた記事です)

夢は覚えていない方です。

夢の話って、自分は「すげーんだぞ!」と思っていても、聞いてる方にはそれが伝わらない事が多いから、
あまり書かないようにしていたんですが、今回は書き残しておきたいので読んでね♪

某所で書いたのと同じ、そして新たに今日みた夢です。

◆多国籍な世界

アメリカ、イギリス、インド、ベトナムのようでどこか違う国をワープのようにぐるぐる回る。
どの世界も住民がスターウォーズのように色んな姿。顔が動物っぽい人も居る。

私はずっと、痩せて身長の低いオタク男性と行動を共にしてたんだけど、
小さな店の2階に上がると、私の顔が水膨れのようにぷく~と広がり恐怖。

この水膨れは前みた夢でも経験していた。その時は怖がって終わりだった。

オタクが私のこめかみを優しく触ると、チクリ!と痛みが。
彼の手の平には、銀色の3㎝四方の金属片2枚。
水膨れ収まり喜ぶが、

「奥まで治癒するには、もっと大掛かりな手術が要る」
と言われ、トンネルのような通路を通り、宇宙船のような内部へ。
奥には椅子がずらりと並ぶ。

そこに座らされ、麻酔を受けると意識が落ちる。(夢なのに意識が落ちている時間が解った)
私は麻酔の副作用が酷いタイプなので、恐る恐る目覚めたら、気分も悪くない。

オタクに鏡を渡され見ると、こめかみに大きな傷。
申し訳なさそうにするオタク。
「思ったより奥で、取り出す為にこうなってしまった」

私としては痛くもないし、イインダヨーと言う。

その後オタクは私に何かを訴えるように教えた。
内容は覚えてないけど、彼の真剣で慈しみに満ちたオーラを感じ、

「あー私って愛されてんなぁ~」

で目が覚める。

◆何が変化した?

この二日後くらいだったかな。
不登校の長女が受験でした。
昼夜逆転生活を1年くらいしていて、1日目は徹夜で何とか行ったけど二日目。

起きてこない!!

旦那は焦って怒鳴ろうとするし、私も肝が冷え…あれ?冷えない。
不安は?あるでしょ?…ない?

とりあえず長女の好きな濃いお茶をいれ、なんとか飲ませた。

不登校児のほとんどがそうだと思いますが、最初は母親はヒステリーになるので、
母親から起こされる=恐怖症になるんですね。
だから母親が起こして起きる成功率が低い。
うちも今までずーーーーっとそうだったので、諦める気持ちも湧きました。

しかし、ネットの方が言ってくれた言葉。

「心配より信頼」

恐れや不安はそれを引き寄せるというなら、それらを完全に排除し、信じる力を出してみよう。

不思議といつも邪魔する不安が沸いてこない。
長女は軽い、屹立性低血圧症なので、血圧を上げる為には…気功やん?

東洋医学では当たり前なんですが、気を上げると血流が良くなり、必然と血圧も上がる。

私はこれにチャクラ活性も織り交ぜており、第一チャクラからエネルギーを上に上げていきました。

15分くらい黙ってそうしてたでしょうか。
起きた…!!あのテコでも起きなかった長女が立ったー!!!クララー!!!

無事受験出来て、もう結果はどうあれ行けただけで私の中で合格。
嬉しかったです。

そして振り返る。
もしかしてあのオタクの手術は、不安や恐れを取り除くものだったのでは?
夢占いでも手術は吉夢でした。


夢の中の病院はあなたの感情的、心理的、そして身体的な修復あるいは回復を意味します。
あなたの中で知識や知恵の総入れ替えが行われている最中です。
これによって頭の中の古い価値観、古いボキャブラリーが削除され、新しいアイデアやプランが追加されていくでしょう。

当たり過ぎて怖い。

夢は潜在意識の発露だから、ほんとバカに出来ないんですよ。
そして今朝、印象的な夢を見た。

◆祖母の夢

母方祖母はまじない師だった…なんて亡くなった後に知って。
怒ったのを見た事がない、人格も仏様のような人でした。

節目節目に現れてくれるのですが、今回も来てくれた。

ゆったりとした新春の空気の中、現れた祖母。
私は嬉しくて、あっちで喋ろう!と扉をくぐり、中庭のような場所へ。

花が少し咲き始めた広葉樹の下で、ずっと喋る。
内容は覚えてないけど、私は祖母に質問していて、答えて貰っていた。

途中に庭師のような人が来て、祖母は故人だから姿見えないだろうなー。
独り言言ってる風だろうな~と気にはしたけど、構わず喋った。

今思い返せば、あれは父方祖父に似ていた。
私が1歳の時に亡くなったし全然夢に出た事ないのに。

祖母が時間だと告げる。
私は泣きそうになりながら、「頑張るから」と訴えて目が覚めた。

◆なにをがんばる?

起きた変性意識のなか、祖母との事を思い出す。

遠方に住む祖母がうちに泊まりに来た時、私は中2でいじめの真っ最中だった。
トゲトゲしく、「早く帰らないかな」くらいに冷たい態度だった。

最後の夜、祖母は私の部屋に来て、
「これで何か買ってね」
と2千円をくれた。

反抗期の私は、「なんだよ、たった2千円くらい」
と鼻で笑った。(酷)

祖母が亡くなったのは、それからしばらくしてだった。

かなり後になって、祖母は実はすごく少ない年金で暮らしていた事が判明。
ずっと8人の子どもを育てる為に専業主婦で、祖父は自営業だったから当然ですよね。

なのに子ども時代、私達が乞う度にお小遣いをくれていた。
祖母にとって2千円は大金だったのだ。

私は後悔でおいおい泣いた。
今でもこれを書くと涙が止まらない。

それを思い出しながら浮かんできたのは、
「お年寄りに優しくしよう。祖母に出来なかった分まで」
だった。

奇しくも最近、お隣の子どもが居ないおばあさんを助ける事が多い。
職場でも腰の曲がった人を見ると祖母を想い出し、ヘルプしてしまう。

贖罪…というと重いけど、何か出来る事があるのかもしれない。
ころばん体操の講師になるか?
公民館では月1健康体操指南してます(笑)


あー…ハートチャクラが痛い。
祖母のあの慈悲深さは仏様そのものです。
娘である私の母、からっきし似てない。
母は聞く耳が無いから、私の所に来るんだろうな~

富と名声が欲しい!と言ってましたけど、何よりも私は祖母みたいな慈愛の人になりたい。
お金はまったくなかったけど、お葬式は家の外の道路まで列が出来るくらい、参列者が来てくれました。

自分で種から育てた花の苗を配るのを、最期まで続けた祖母。
お金ではない、人間関係の富が豊かな人でした。

…そういえば、祖母の名前はトミだ(笑)



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イイ話ダナーの後にふんどしかい。
某所で細々と売り出したハンドメイドの褌が、初めて売れた記念!!
嬉しい!
「みんなの股間を元気にする」も頑張るぞ~!!

そしてアレ押してくれた方々もありがとうございます!!

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