♪ネバ~エンディンストォオオリィ~の歌が流行ったのは小学生の頃でしょうか。
同級生の大半がこの映画にハマっており、特に(憧れていた)太郎君がドはまりしていた。
私の人生を変えた本を持って来たのも彼だったなー。
ところが当時の私はこの映画も、原作もスルーしてきました。
ある動画が切っ掛けで40過ぎてから見る事になったという。


最初借りたのは、なんとドラマ版でした。
全然原作とは違った…主人公は青年で、敵対する魔女は幼心の君の姉妹。
主人公にはハリーポッター的な友達が居て協力してくれる。

フライガールというオリジナルキャラが出て来て、この子エヴァのアスカ系で可愛い。
これはこれで面白かったけど、打ち切りだったようで半端に終わりました。

次は映画の1章を借りました。
原作者のエンデが怒ったというw
んまーあのラストはどうかなーとは思いましたが。
戦士アトレーユは美少年でした。眼福。

2章は…見なくて良かったな。
今度は本を読むいじめられっ子陰キャのバスチャンが何故か金髪の美少年になっており、
陰キャ設定消えた。

2章でフラストレーションが溜まり、とうとう原作を買ってみる事に。
図書館で借りても良かったんだけど、手元に残したい本ってあるじゃないですか。
私にとっては星の王子様とモモがそうで何年かおきに読返し、新たな発見を得ます。
モモの作者なら…と期待を込めて、豪華装丁版購入!
はてしない物語 (エンデの傑作ファンタジー)
ミヒャエル・エンデ
岩波書店
1982-06-07


…これ本好きの子どもにプレゼントしたら、絶対宝物なるやん。
赤い装丁で中は二色刷り。これで3000円はむしろ安い。
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大人でも引くほどの分厚さでしたが、老眼凝らして一気読みしてしまいました。
以下ネタバレ含みます。読んでから読んで欲しいな。


まだスライムなら笑えるけど、よくスマホの広告に入って来るような、大魔導士とか伝説の勇者になるチート(破格)系は…痒くなるよね!!
物語の主人公も容姿が冴えない陰キャです。
それがファンタージェンに行くと容姿までイケメンになり、万能になる。
この世界の勇者に圧勝した時なんか、顔赤くなっちゃったよ。

バスチャンはこの世界において英雄であり創造の神になる。
その引換に現実世界の記憶を失っていくのですが、あちらで良い思いをして来なかったからお構いなし。というか忘れた事すら忘れる。
それを心配するアトレーユとファルコン(原作ではフッフール)

終いには幼心の君不在のうちに、城乗っ取り計画して、アトレーユ達により阻まれる。
敗戦して流れ着いた所は、かつてアウリンを与えられて脱け殻になった元人間達の町。
ここの描写は本当に不気味で怖い。
前編の無作為に襲ってきた「虚無」より怖い。

そこからバスチャンの孤独な旅が始まる。
最初の仲間をどんどん増やしていく栄光の旅とは真逆。
記憶は個性を作る。
それを無くしたバスチャンは無個性集団の中に入り一旦溶けかけたものの、「仲間が死んでも代わりはいるもの」という綾波ばりの無関心さの集団に嫌気が差して離れる。
ここで彼は「個」でありたいという願いを思い出す。
そしてその「個」を愛して貰いたいと願う。

次の場所は「変わる家」のおばさまの所。
ここで主人公はたらふくご馳走になり、幼子のように愛を与えられます。
占星術では子供時代が月。インナーチャイルド、潜在意識、母も月です。
つまり幼子にとって母親は世界のすべて。

おばさまは自身からもぎった実を与えますが、それは母乳の揶揄。
子供用ベッドに寝かされたりして、主人公は足りなかった母性を補充します。

変る家は「周りが変る事ばかり考えてきたけど、自分が変る事を考えて来なかった」という事を教えます。
充分な愛情と栄養、そして受容される事を満たした主人公は、いよいよ母の元から旅立ちます。

昔私は母というものを、
「子どもの為に養分を使い果たして枯れて行く哀しい存在」
と言った事があるのですが、その人はこう返しました。
「でもね、代わりに子どもが生きていくならそれでいいの」

継承と言っていいのだろうか。
前の無個性集団の町で「私が死んでも代わりは居るもの」とは違う。
自分の愛を、想いを継承した人間が残る。
それって自分が永遠生き続ける事になるのではないか。
だからこそ人は、戦時中であっても子孫を作るではないか。

次に主人公は雪の降り積もる炭鉱へ行き、そこには隠者のような炭鉱主が居ます。
その地下には現実世界の人々が見た夢や記憶が地層になっている。
集合的無意識の世界。

そこで主人公は来る日も来る日も自分がピンと来る=自分のものだった記憶を探し続けます。
少し前の派手な偉業とは違い、地味過ぎる仕事を文句も言わずに淡々と続けます。
私はここで土星を感じました。
土星は師であり父です。
地道な努力もまた土星です。

やがて記憶の欠片を見つけた主人公は、それを胸に炭鉱を出る事になります。
その時初めて、仏頂面の炭鉱主がこう言います。
「よくやった」

真っ先にエヴァの碇ゲンドウの「よくやったな、シンジ」
が浮かびました。
母性は失敗しようが何だろうがすべて受け入れてくれます。
しかし父性は何かを成す事で認めてくれる。

母性と父性の欠けを補った主人公は帰れる門を探して旅立ちます。
物語の中盤、芋虫みたいに地味だったけど見事な銀細工を作っていた生物を、お調子者の蛾に変えた事があるのですが、それが元に戻せと襲ってきます。
「おれたちは命令、指図、強制、禁止をしてもらいたいのさ!なんか意味のある生き方をしたいのさ!」
…これ他人事じゃないですよね。

私達は何となくの肩書を手に入れます。
それは自分の意志ではなく、人から与えられたかのように感じる。
学生だったり、コンビニバイトだったり。
自分の肩書に自信ない人はこう言います。
「こんなはずではなかった」
「別の何かになってみたかった」

主体性の欠如です。
芋虫の時だって、銀細工は嘆きの副産物だった。
自分の容姿を哀れみ、国中で一番憐れで不幸な生き物だと嘆き、主人公に泣きついた。
安い同情に駆られた主人公は、アウリンの力で彼らを変えた。
恩人だ!と得意満面に。

私はスピ被れしていた過去を思い出しました。
「人に親切にするのは良い事だ」と助けを乞われてもないのに、勝手に手出ししました。
その結果、ある人には嫌われ、ある人は依存体質になった。
何もかも私を頼るようになった。
それで幸せが得られないと、私のせいにしてきた。

この不毛な関係性を何といいましょうか。

芋虫は結局また元に戻れても、すぐに不満を言うでしょう。
自分の意志で決めて、行動しない人間はずっと後悔をし続けます。
別の何かになれる幻想を追い求め、何も得られない。
まるで砂漠のようです。水を注いでもすぐ乾く。
その地下にある水源に気付かないままに。

主人公は連れ去られようとしますが、傷つけてしまったアトレーユとフッフールに助けられます。
彼は詫びて、力の源であったアウリンを親友に差し出します。
そこで生命の泉へと飛びます。

生命の泉は生命の木と同じなのかな。
考えてみたらカバラの要素が満載だこの話。
アウリンはおそらく、アインの事かと。


生命の泉=真理に浸かったバスチャンは剥き出しの魂を思い出します。
ありのままの自分で素晴らしいという事。
何者にもならなくていい。
誰かを愛する事は即ち悦び。

その愛を誰かに分けたい。

よく、人を助ける時は自分の器に溢れた水の分だけ与えなさいと言います。
アウリンの万能の力は自分の犠牲(記憶)と引き換えだった。
それは何故か?
与えられた力で、彼の力ではないから。
欠乏感を抱いたままの彼=底に穴の開いた器は、どんなに水を注いでも満杯にならない。

穴を埋めるのはなに?
母性、父性、アウリンを手放した時のようなサレンダー。
自分はありのままでいいと思える肯定感。

ここに気付けるのは、欠けだと思うんです。
人は欠けているから、満たそうと努力する。
失って、得るものがある。

バスチャンはずっと、冷たい父親に不満を抱いてきました。
しかし愛を知った彼は、その愛を父親に注ぎます。
その水は枯れる事がありません。
どんどん会う人々に注いでいったのでしょう。


エンデの作品は、幼心のイメージ力を重要視しています。
子供の純粋な想像力は一つの世界を創造する力がある。
私はこれを希望と呼びたい。
幸運の龍、フッフールのような。

「大丈夫」
この三文字にどれだけ救われてきた事か。
物語の希望はもちろん、親友アトレーユでした。
欠けた事で、大事さに気付いた。

信頼し、心が通じ合った彼らには道が出来て、いつでも二つの世界を行き来出来るんでしょう。
その道はいずれ広がり、より多くの人達が通れるようになる。
これはすなわち、潜在意識が開かれるという事。
想像=創造の力を人間が使えるようになるという事。

すべては完璧なタイミングで起るといいますが、私が今の知恵でもってこの作品を読めた事は、意味があったと思います。

読む切っ掛けとなった動画です。スペシャル・サンクス!

あなたの欠けはなんですか?
自分の望みを分かっていますか?
それに向って、希望を持っていますか?
分かない人は、この物語を読んでみるのもいいかもしれません。

「汝(なんじ)の欲することを為せ」
「あなたさまの真の意志を持て」